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by h.maruya
| 2010-03-27 08:39
| ✰エコハウス「そらどまの家」
建築家シリーズ第3回は、株式会社エーアンドエーセントラル代表であり、NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ代表でもある丸谷博男氏にご登場いただきました。丸谷氏は環境共生型の住まいづくりのため自然エネルギーの利用に積極的に取り組む他、住まい手のコミュニティ作りの大切さを強く訴えておられます。
NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ 代表 東京芸術大学美術学部建築科 非常勤講師 千葉大学工学部 非常勤講師 クラフトセンタージャパン 評議委員 日本クラフトデザイン協会 会員 丸谷 博男 氏 ■略歴 1948年 山梨県にて生まれる 人生の大半は東京 1972年 東京芸術大学美術学部建築科 卒業 1974年 東京芸術大学美術学部建築科大学院 修了 1988年12月 一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル 設立 1992年12月 梅ヶ丘アートセンターを開設 その後NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップとして運営する 2004年より 福岡市内の住宅地がマンション化され街並みと、コミュニティが破壊されていることに対し警鐘を投げかけ、向こう三軒両隣のコミュニティづくりを提唱する。「繋がるデザイン」の提唱。 ■主な著書・監修等 「家づくり成功読本」「家づくり100の知恵」「住まいのアイデアスケッチ集」、「設備から考える住宅の設計」、「実践木造住宅のディテール」(彰国社)、「男と女の建築家が語る家づくりの話」(工業調査会) ほか多数 ■その他 趣味は「旅」。 その土地の風土とそこに暮らす人間が大好きです。 形だけのモダンは感心しません、人間と地球の物語を伝え続けることが大切です。 ■丸谷氏と本当に省エネルギーな住まい 僕が主に取り組んでいることには、二つの流れがあると思います。その一つ目は住まいとその周りとの環境、地面の部分や植栽まで考慮し、本当に省エネルギーになる住まいをつくることです。具体的なお話としてはOMソーラー、空気集熱の家があります。 これは私の両親や私自身を実験台にして設計しました。設計を始めた当時は周囲から「熱容量の小さい空気を熱輸送に利用するなんて、何て効率の悪いことをやっているのだ」などと異端児扱いされたものです。でも私は自然の力を活かして熱を利用するこの方式がとても気に入っています。ごく最近になって、実際につくったこの家を売りに出したのですが、大学の先生など自然と共生する住まいの良さをわかってくれる方が結構いらっしゃって、とても驚くと共に大変うれしく思っています。 ■省エネルギーな住まいを考える上で大事なこととは? 僕が住まいに関して環境面で一番大事なことだと思うのは、やっぱり地域性を大切にすることだと思います。この地域性というのは、住宅が存在するそこの気候風土、文化、周りの景観、あるいは土も、水も、緑も、そういうところから全部つながった結果として生まれているものです。 日本は北海道から沖縄まで、すごく多彩な気候風土があります。でも今の日本の住まいは売る側の論理が先んじて、日本全国で同じ様なモデルハウスが作られて売られているという、まったく地域性ある環境とは無関係の状況になっているわけですね。 でもよくよく考えるとそのような住宅はほんの100年くらいの歴史しかなくて、それ以前の何千年っていう歴史はまさに気候風土にウソをつけない時代であったはずです。ですからまさにその時代が一番LOHASだったわけです。無駄なものができないし、環境にウソをつけない。そこのところがとても私は大事だと思います。 ■もともと存在したLOHASな暮らしに学ぶ 今の日本は高気密、高断熱の住宅こそが省エネという流れになりつつありますけれど、私は建材を沢山使用してつくる家というのは完全なLOHASな住まいにはならないと思います。北海道のアイヌの人々は-10℃、-20℃という環境下でも地熱を利用することにより、焚き火やおき火だけで冬を乗り越えていました。縄文人だって竪穴式の住居で1万年も暮らしていたわけです。 原始的とはいえ、そういう人達こそが本当に気候風土をつかんで生きてくることができた。考えてみてください。私たちは彼らの子孫として今を生きているのです。気候風土、地域性をきちんと読める科学力というか、洞察力というか、あるいはそこで暮らしをつくる力というものを先人から学ぶべきではないでしょうか。 ■もう一つの取り組み、コミュニティづくり もう一つ私が取り組んでいるのは、コミュニティづくりというか、コミュニティが自然と醸成されていくような街づくりです。向こう三軒両隣プロジェクト、なんていう活動もやっています。 一言でコミュニティと言っても戸建住宅が集まっている地域でのコミュニティがあれば、戸建住宅と集合住宅が混在した地域もあるし、集合住宅の中だけのコミュニティもある。ただしどの条件にも共通して言える特徴は、新しくできた分譲地やマンションでは皆で維持管理する共有物としてのデザインとか、仕掛けとか、そういうのがあまりない。たとえ共有物が存在しても、容積緩和のために小さなポケットパークのような場所を名前だけ共有していたりします。 私は良好なコミュニティを醸成するために必要なのは、形だけの広場や共有物をつくることではないと思います。メンテナンスも含めた共有物を持ち、それらを皆で維持管理していくというプロセスの中に一番大事なことがあるはずです。 ■コミュニティとサスティナビリティ コミュニティが機能して、人々が永く住み続ければそれはサスティナビリティな暮らしにつながります。つまり良好なコミュニティの存在が環境に良い暮らし、LOHASな暮らしをつくるのです。その観点からすると、まあちょっと難しいのですが、人間が一つの土地で生まれて、その土地で育っていくって言うことが一番サスティナビリティを生んでいく背景になると思います。 人の流動が激しいところというのは、絶対にコミュニティが育ちません。皆他人同士で、お互い何年そこにいるのかわからない人達が常に入れ替わりながら暮らしている場所でコミュニティを作れるか、って言われて、あなたは本当に出来ると思いますか? またこのような状況に対して小手先だけの空間やデザインではいくら提案してもコミュニティ醸成に寄与しません。この点を知り、うまくコントロールして、コミュニティが醸成されていく仕組みづくりをすることが重要なのです。 ■地球と共生するために 住まいの省エネも、コミュニティも、とにかく地域性を理解して、それを考慮することが大切です。もう一つ付け加えるのならば、サスティナブルな暮らしのためには「誰もが快適な暮らし」を目指す必要はありません。住まいの中の環境も、年間平均気温である15℃を基準に考え、この熱を利用していけばそれで充分なのです。もっともこの熱を利用するためには住まいの熱負荷、熱の移動量、移動速度などもっともっと研究することが沢山あると思います。 古代の人間の知恵による住まいは地球との共生を実現できていました。逆に言えば現代住宅だけですよね、理にかなっていないのは。 ですから私は本当に地球環境を考え、この問題に対する活動をこれからも続けて行きたいと思っています。 #
by h.maruya
| 2010-03-25 15:37
| ■プロフィール
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by h.maruya
| 2010-03-22 15:49
| ✰エコハウス「そらどまの家」
ほぼ出来上がりました。
今日は、彫刻家中西さんがモニュメントや献花台を据え付ける日です。 微妙な寸法を決めて、最後の空間づくりです。 デザインした自分でも最後はどうなるのか不安なものです。 出来は上々です。良かった!ホッ〜 黒い壁は溶岩の板です。メキシコの建築家ルイス・バラガンや吉村順三が「草」の素材として好んだものです。 はじめは、イサムノグチが重用した庵治石で見積もりましたが、とんでもない金額になりましたので変更したものです。 他は、コンクリート打放し。 仮置で場所を決めました。 献花台の上に乗っているのは屋根の上に取り付ける水上のモルタル押え。でも立派な作品です。 彫刻家中西さんと友人のステンレス加工屋さん #
by h.maruya
| 2010-03-09 13:03
| ♖お墓のデザイン
福岡県建設業協同組合の会員に限りますが。
■福岡市内で木造の五重塔が建設中! 東長寺の五重塔着工 九州で2つ目の総木造 福岡市博多区 県内初の総木造による五重塔建立を計画している東長寺(福岡市博多区御供所町)は、2008年3月中に市の建築確認を得て4月1日に着工した。同寺の藤田紫雲(しうん)住職(64)らが4日、同市役所で会見して明らかにした。落成は2010年末の予定。九州では熊本県玉名市の蓮華(れんげ)院誕生寺本院に次いで二つ目の総木造による五重塔となる。 ■もう一つ、1945年に鹿児島で建立されたザビエル聖堂が福岡で復元中! 鹿児島大学工学部名誉教授・土田充義先生よりいただいた本です。感謝。 上記書籍の刊行所であるNPO法人を設立,鹿児島にあったザビエル聖堂の再建に奔走されている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルの日本渡来450年を記念した新しい聖堂の建設に伴い、1998年に解体された鹿児島カテドラル・ザビエル教会(鹿児島市)の旧聖堂が、福岡県宗像市の地でよみがえる。2007年4月15日、関係者で起工式を行い、2011年4月の完成を目指す。 旧聖堂は、戦前の石造の建物が空襲で外壁だけを残して焼失したため、1949年に木造に改築して再建された。大きさは幅13メートル、奥行き32メートル、高さ21メートル。 鹿児島大学で教壇に立っていたころから旧聖堂の保存運動に取り組む同大名誉教授の土田充義さん(69)は「天井を高くするため、はりを斜めに入れるなど斬新な設計で、このような構造の木造教会は国内にない」と、再生プランを高く評価する。 解体後、鹿児島県内の老人ホームで規模を縮小して復元する計画だったが、頓挫。窮状を知った御受難修道会・宗像修道院(宗像市)の鈴木忠一院長(71)が「ザビエルは鹿児島から京都へ向かう途中、宗像市赤間を通った縁がある」と協力を申し出た。 旧聖堂の「再生プロジェクト」は、土田さんが理事長を務める特定非営利活動法人(NPO法人)「文化財保存工学研究室」が担当。宗像では解体時と同じ大きさで復元する。(現場での判断で縮小して材料が間に合うようにされているようです)総工費は約1億円を見込んでおり今後、募金活動を本格化する。 また、修復技術の伝承と「物を大切にする心をはぐくむ」(土田さん)ことなどを目的に、子どもや若者のボランティアも募る方針。 旧聖堂は完成後、宗像修道院に寄付する予定で、それまでに維持管理方法などを詰めるという。 » 西日本新聞 #
by h.maruya
| 2010-03-06 20:49
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