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今年は、盛り沢山のとっても贅沢な視察です。ご案内します。
「紺碧のアドリア海を望む北のスロベニア、南の南イタリアを訪ねる旅 ー東欧のeco技術・世界遺産の町・世界遺産の遺跡・地球と共生する集落アルベロベッロなどを探訪します」 かつてハプスブルグ家の支配下にあった、スロベニアとクロアチアは、その街並みも美しく、文化水準も高い地域でした。スロベニアは、その大多数がスロベニア人で占められていたため、独立の際は、ほぼ無血で終結しました。一方のクロアチアは、違民族が競い合い、内戦に縺れ込む・・・・中でも、国境に近く、陸・海・空から攻撃されたドブロヴニク(世界遺産の都市)は壊滅的な被害を受けてしまったのです。今回は、美しい町・建物がのこるスロベニアをはじめに訪ねます。 高性能サッシがきっかけで知り合った友人たちが、彼らが誇る建物や町に私たちを案内してくださいます。 その中の一つリュブリャナはスロベニア中央部のリュブリャナ低地に位置し、人口は280,000人ほどの首都です。 アドリア海の海港として知られる都市には、ヴェネツィア、バーリなどがあります。 ![]() ![]() アドリア海東岸の町ピラン(Piran)はスロベニア南西部のピラン湾やトリエステ湾に面した町で、イストリア半島では3つの著名な町の中の一つです。町には中世の建築物や文化的な遺産が豊富に残っていて大規模な野外博物館のようです。細い通りには小さな家々が建ち並び、スロベニアの一大観光地となっています。スロベニアの後は、イタリア半島のかかとの部分、プーリア州を訪ねます。 イタリア半島の踵に位置するプーリア州のアルベロベッロ。そこには、おとぎの国のような円錐形のとんがり屋根の家々が立ち並びます。トゥルッリと呼ばれる それらの家は、石灰岩を積み重ねただけで作られています。このユニークな建築の大集落が誕生したのは16世紀後半、そこには、スペインという大国に支配された南イタリアの農民の歴史が凝縮されています。もともと南イタリアの大地は、石灰岩地層が広く覆い、痩せた大地が広がります。そこでの農業はオリーブしか育たず、小作人は厳しい生活環境にさらされていました。 トゥルッリには釘やセメントなどの接着のための建材は一切使用されていません。農民達は厳しい生活環境の中で知恵を絞り、足下を掘ればすぐに手に入る石灰岩を使い、独自の建築様式を発展させたのです。 ![]() 長靴の形をしたイタリア半島のかかとに位置するマテーラ。その峡谷の絶壁には、人が何年もかけて掘った4000を越える洞窟住居群があり、彫刻作品のよう な町並みを作り出しています。岩壁の掘削には時間と労力を要します。しかし、洞窟住居は何百年も暮らせる経済的で耐久性に富んだ家です。洞窟住居が密集するマテーラには、何世紀にもわたり人の暮らしが折り重なり、独自の文化を育みました。 峡谷の岩壁に人が定住し始めたのは8世紀頃。イスラム勢力の迫害から逃れたキリスト教の修道士が、新石器時代から使われていた洞窟に移り住んだのが始まりと言われています。修道士は 130もの洞窟の聖堂を掘り、ビザンツ様式のフレスコ画で内部の壁面を飾りました。 その後、聖堂の周りに農民が移り住み、町へと発展しました。16世紀に は、人口増加に伴い洞窟の入り口に石を積み、建て増す住居が増え、箱形の住居が重なり合う特異な景観の都市へと変化しました。20世紀に入ると、マテーラ は時代に取り残され、街は荒廃し、イタリアで最も貧しい街と呼ばれるようになりました。第二次大戦後、イタリア政府が住民を強制的に移住させ、貴重な文化 遺産の保護に乗り出しました。1993年世界遺産の登録によって注目され、官と民が共同で再開発を進めています。 ![]() ![]() ソレントのホテル・パルコ・デ イ・プリンチピ(1962年)は, 20世紀のイタリアを代表する建築家ジオ・ポンティの設計です。ミラノのピレッリ高層ビル(1956年)、米国デンバーのデンバー美術館(1970年)などの建築を設計したほか、家具や食器などもデザしています。彼の「愛すべき建築」の魅力を、外壁、内壁、床、窓といった部位ごとに、見ていきましょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() カンパニア州の州都、ナポリも訪ねます。海辺の景色が美しく、ナポリ湾とはるかにかすむヴェスヴィオ火山の風景は、ローマ皇帝たちも愛でていたものです。ナポリの歴史はめまぐるしく、紀元前7~6世紀にギリシア人がネアポリス(新都市)と名付けたことに始まり、ローマ時代を経て、ノルマン人による統治、スペイン総督の支配など、複雑に変遷した為政者のもとで文化的中心地でありつづけました。ナポリの中心街は、ナポリ中央駅からメルジェリーナ港まで東西約5kmの範囲に広がり、サン・カルロ歌劇場や王宮、サンタ・ルチア港などみどころ多彩。ウンベルト一世通りの北側一帯には古い教会が点在、クローチェ通り界隈には老舗の菓子店が並ぶなど、通りやエリアごとの楽しみで一杯です。 ![]() ![]() サルノ川の河口付近にあるポンペイを訪ねます。約1900年前のヴェスヴィオ火山の大噴火によって、火山灰に埋もれ、その存在は長く知られていませんでした。18世紀になって発掘が始まると、当時の高度な文明都市、人々の豊かな日常生活の様子がそのまま姿を現し、人々を驚かせたのです。現在では世界遺産にも登録されています。 ![]()
by h.maruya
| 2015-07-14 11:00
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